先日から「Dunbar’s number: Why we can only maintain 150 relationships -「ダンバー数:人脈の限界は150人?」を読んでいます。
・「ダンバー数:人脈の限界は150人?」(1)
・「ダンバー数:人脈の限界は150人?」(2)
・「ダンバー数:人脈の限界は150人?」(3)
・「ダンバー数:人脈の限界は150人?」(4)
・「ダンバー数:人脈の限界は150人?」(5)
Indeed, social capital can be especially important for people who don’t have other forms of capital, as suggested by Acedo Carmona’s comparative research on northern Ghana and Oaxaca, Mexico.
実際、カルモナ氏によるガーナ北部とメキシコのオアハカに関する比較研究が示唆するように、人的資本は、他の資本形態を持たない人々にとって特に重要である。
High biological diversity, remote mountainous settings,
生物学的多様性の高さ、人里離れた山間部という環境、
and the influences of Spanish colonialism on ethnic identities have all contributed to Oaxaca’s small trust circles, largely consisting of nuclear relatives.
スペイン植民地主義が民族のアイデンティティに与えた影響などにより、オアハカの小さな信頼社会は、主に核家族で構成されている。
But northern Ghana’s scarcer environmental resources have made inter-ethnic cooperation and larger trust circles more important for survival.
しかしガーナ北部では、環境資源が乏しくなったことで、生き残るためには民族間の協力とより大きな信頼の輪が重要になってきた。
scarce「不足で、少なくて、欠乏して、まれな」。
Thus, “focusing on brain size and cognitive limitations may be overly simplistic”, Acedo Carmona stresses.
したがって「脳の大きさが認知の限界を決めると考えるのは単純すぎるかもしれません」とアセド・カルモナ氏は強調する。
Dunbar’s number may be most applicable for premodern societies or for middle-income groups in contemporary Western societies.
ダンバー数は、前近代社会、あるいは現代の西欧社会の中所得層に最も当てはまるのかもしれない。
Research that supports it is skewed towards Weird (Western, educated, industrialised, rich and democratic) societies.
これを支持する研究は、奇妙な(西洋的で、教育を受け、工業化され、豊かで民主的な)社会に偏っている。
But even these are becoming more complicated, due to the way internet culture is transforming relationships.
だがネット文化が人間関係を変容させているため、これらもより複雑になってきている。
やはり経済的に厳しい社会では、人的な繋がりが生きていく上で重要な資本である、という話でしたね。
お金はたしかに大切で、あれば便利なことには間違いありませんが、日常の物事の解決にお金は必要でない場合も多いです。
人々の協力、そこで出される知恵やアイディア、そういうものをフルに活用してたくましく生きる道もあるんですよね。
理由は単純明快!「少ないコストでしっかり楽しく学べるから」。
私自身の経験(高機能でビックリ)をびっしり書いていますので、良かったら読んでみてください。
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