先日から「Dunbar’s number: Why we can only maintain 150 relationships -「ダンバー数:人脈の限界は150人?」を読んでいます。

ダンバー数:人脈の限界は150人?


・「ダンバー数:人脈の限界は150人?」(1)
・「ダンバー数:人脈の限界は150人?」(2)
・「ダンバー数:人脈の限界は150人?」(3)
・「ダンバー数:人脈の限界は150人?」(4)

For instance, if someone is wealthy enough to hire assistants to partly manage their relationships – or to outsource some of the emotional labour to others
例えば、人間関係を管理するアシスタントを雇えるほど、あるいは感情的な労働の一部を他人に委託できるほど裕福ならば、

- they might be less constrained by the number of relationships they can comfortably maintain.
気楽に維持できる人脈数の制約は受けないだろう。

As in so many aspects of social life, the super-connected are the super-privileged.
社会生活の多くの側面と同様、コネをたくさん持つ者は超特権者である。

There are also critiques of Dunbar’s number on methodological grounds.
またダンバー数を方法論的に批判する意見もある。

Primates’ brain sizes are influenced by other aspects besides social complexity:
霊長類の脳の大きさは、社会的な複雑さ以外にも影響を受けており

factors such as diet may explain them too.
食事などもその一因かもしれない。

And a British-Dutch team has argued that even though the neocortex is finite,
またイギリスとオランダの研究チームは、大脳新皮質は有限ではあるが


finite「限定されている、有限の、定形の」。

social capacity can be stretched in different cultural settings and with the aid of different technologies.
異なる文化的環境において、また異なるテクノロジーの助けを借りて、社会的能力を伸ばせると主張している。

One example is the use of extensive mobile phone contact lists by low-income Jamaicans.
その一例が、低所得のジャマイカ人による広範な携帯電話連絡先リストの利用である。

These lists, which involve careful cultivation of even casual relationships, often contain many more than 150 contacts.
カジュアルな関係であっても注意深く開拓されているそれらのリストは、150人以上の連絡先が含まれていることが多い。



ちょっとこのジャマイカの人たちの話は、内容がよく分かりませんでした。

低所得な人たちは、人的ネットワ-クで繋がり合いながら暮らしているという意味なのか?

もう少し先を読んでいくと分かるのでしょうか。

昔の日本もそういうところはありましたね。

今なら幼い子供の預け先は、お金を払って依頼することが多いのでしょうが、昭和の日本では子供のいる近所のご家庭に声をかけてお願いするのが一般的だったような・・・。

お互いに用事のある時は、そうやって色々な事で手を貸し合っていたような。

私が幼い頃はそんな感じで、その分ご近所づき合いは緊密にされていました。

今は大分変わりましたよね。


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