先日から「Japan’s ancient vegetarian meal -「日本古来の菜食料理」を読んでいます。
・「日本古来の菜食料理」(1)
・「日本古来の菜食料理」(2)
・「日本古来の菜食料理」(3)
・「日本古来の菜食料理」(4)
・「日本古来の菜食料理」(5)
As vital as the required elements, the restrictions reflect the value of absence that’s recognised in Buddhist training and Japanese aesthetics known as “ma”.
必須要素と同じく不可欠なのは、仏教の修業として、また日本の美学とも認識されている「間」、すなわち余白の価値を反映した抑制だ。
The empty space employed in ikebana (Japanese flower arrangement) is equal to the chosen stems, while Dogen initially listed six flavours – counting plain alongside the other five.
生け花における余白も選ばれた花茎と等しく、道元の最初の六味(苦味・酸味・甘味・辛味・塩味に加え、それらを邪魔しない淡味)のように、他の5要素と共に数えられる。
This preference for subtlety and minimal sacrifice is key, but among Japanese diners who favour meat and the traditional fish-based dashi stock, the cuisine is often viewed as bland and unexciting.
この繊細さと犠牲は最小限であることを重視する嗜好は、肉や伝統的な魚の出汁を好む日本人の間では、味気なくつまらないと見なされることがよくある。
preference「好み、選択、ひいき、好物、選択物、優先、先取権」。
bland「もの柔らかな、穏やかな、落ち着いた、温和な、口当たりのよい、さっぱりした、気の抜けた、おもしろみのない、無感情の」。
Fujii maintains a boundless enthusiasm for the cuisine’s possibilities, however:
しかし藤井さんは精進料理の可能性に尽きない情熱を抱いている、
“There are so many variations and it is so representative of the seasons, not once in 36 years have I become bored with shōjin ryōri,” she said.
「バリエーションが豊富で非常に季節感のある精進料理に、この36年間飽きたことはありません」と彼女は語った。
野菜だけ、というのは何かねえ~という感覚は分かります(笑)。
何かガッツリしたメインが無いと、元気が出ないような気もしますが、昔の日本人は玄米と野菜メインの食事で、籠に人を乗せてエッサエッサと走っていたんですよね。
それを思うとやっぱり現代人は食べ過ぎで健康を害しているのかも・・・毎日は無理でも、たまに菜食の日を設けると、内臓が休まって良さそうですね。
理由は単純明快!「少ないコストでしっかり楽しく学べるから」。
私自身の経験(高機能でビックリ)をびっしり書いていますので、良かったら読んでみてください。
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