先日から「The Godfather: Have we misunderstood America’s greatest film? -「ゴッドファーザー:この偉大な映画は誤解されている?」を読んでいます。
・「ゴッドファーザー:この偉大な映画は誤解されている?」(1)
・「ゴッドファーザー:この偉大な映画は誤解されている?」(2)
But it would be unfair to say that the film itself ignores women, even if the men in it so often do.
だが登場する男たちがそうであっても、この映画自体が女性を無視していると言うのは不公平だろう。
In fact, Coppola keeps reminding us where the female characters are and how they are feeling.
実際、コッポラは女性キャラクターがどこにいて、どう感じているのかを、私たちに思い出させ続けている。
The opening speech is about a girl who has been abused, the closing scene has two women questioning and protesting against Michael’s methods.
映画冒頭のスピーチは虐待を受けた少女について、エンディングではマイケルのやり方に疑問を持ち、抗議する2人の女性。
The most disturbingly violent sequence has Vito’s pregnant daughter Connie (Talia Shire) being whipped by her husband.
最も心をかき乱される暴力シーンは、ヴィトーの妊娠中の娘コニー(タリア・シャイア)が夫にムチで打たれるシーンだ。
And when Hollywood mogul Jack Woltz (John Marley) holds forth about a “young”, “innocent” starlet, who “was the greatest piece of ass I’ve ever had”,
ハリウッドの大物ジャック・ウォルツ(ジョン・マーリー)が「若くて」「無垢な」スターレットを「今までで一番素晴らしい尻だった」と語るとき、
hold forth「長々と話す・語る、公表する、提示する、~を閉じ込めておく、出さないようにしておく」
Coppola positions a maid in the background, forced to stand and listen to his misogynistic rant.
コッポラは背景にメイドを配置し、彼の女性差別的な暴言を立って聞くことを強要するのだ。
rant「わめく、どなり立てる、激しくしかる、熱狂的に説教する、大言壮語する、せりふをわめくように言う」。
As for the male Corleones’ neglect of their wives and sisters, well, let’s not forget that The Godfather is set in the 1940s and 1950s.
コルレオーネ家の男たちが妻や妹をないがしろにしていることについては、本作が1940年代から1950年代が舞台であるのを忘れてはいけない。
As much as we may enjoy the performances of Shelley Winters in Roger Corman’s Bloody Mama (1970) and Madonna in Warren Beatty’s Dick Tracy (1990),
私たちがロジャー・コーマン監督の「血まみれギャングママ」(1970年)でのシェリー・ウィンタースやウォーレン・ベイティ監督の「ディック・トレイシー」(1990年)でのマドンナの演技を楽しめるように、
Coppola rejects the idea that mid-century Mafia women were pistol-packing molls, scheming femme fatales, or matriarchs doted on by a crowd of momma’s boys.
コッポラは20世紀半ばのマフィアの女性たちが、ピストルを持った情婦、陰謀を企むファム・ファタル、もしくはマザコン男たちに溺愛される女家長だったという考えを否定しているのだ。
matriarch「女家長、女族長」。
Instead, he insists, they were more likely to be pushed aside by their sexist men, who were steeped in blood and betrayal.
それよりむしろ彼女らは血と裏切りに染まった性差別的な男たちに押し切られる方が多かったのだと主張している。
The Godfather isn’t a monument to male chauvinism, but a condemnation of it.
「ゴッドファーザー」は男尊女卑の記念碑ではなく、男尊女卑を非難しているのだ。
And it’s all too relevant, half a century after its release.
そしてこの作品は、公開から半世紀を経た現在でも十分に通用する。
When Vito attends an all-male meeting of Mafia bosses, the boardroom table is identical to those in countless photos of cabinet meetings and corporate conferences today.
ヴィトーが出席したマフィアのボスたちの男ばかりの会議でのテーブルは、今日、数え切れないほどある閣議や会社の会議の写真と同じようなものだった。
あ、良かった・・・というか、一応時代設定の考慮はされている話なんですね。
コニーが夫のカルロに暴力を受けるシーンは本当に酷かったし、結局それも敵に仕組まれたものだったというのも・・・。
ソニーは家族思いの熱い人だけども、そこが命取りになったのだというヴィトーの振り返りが後のシーンに出てきます。
ソニーとは真逆で内面の激情を表に出さないのがマイケルで、ヴィトーが一番継がせたくなかった彼こそがボスの器だった。
色々人生の皮肉みたいなものも見えてきますね。
理由は単純明快!「少ないコストでしっかり楽しく学べるから」。
私自身の経験(高機能でビックリ)をびっしり書いていますので、良かったら読んでみてください。
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