先日から「Why The Godfather Part III has been unfairly demonised -「ゴッドファーザー パート3が不当に悪者扱いされた理由」を読んでいます。
・「ゴッドファーザー パート3が不当に悪者扱いされた理由」(1)
・「ゴッドファーザー パート3が不当に悪者扱いされた理由」(2)
・「ゴッドファーザー パート3が不当に悪者扱いされた理由」(3)
・「ゴッドファーザー パート3が不当に悪者扱いされた理由」(4)
・「ゴッドファーザー パート3が不当に悪者扱いされた理由」(5)
And the film’s most severely criticised element is no better than anyone remembers.
そしてこの作品で最も厳しく批判された要素は、誰もが覚えているだろう。
no better than~「~も同然だ、~にすぎない」。
Winona Ryder, who had been set to play Michael’s daughter, Mary, dropped out weeks before filming started and was replaced with unabashed nepotism by Coppola’s teenaged daughter, Sofia.
マイケルの娘メアリーを演じる予定だったウィノナ・ライダーは、撮影が始まる数週間前に降板し、臆面もない縁故採用でコッポラの10代の娘ソフィアが演じることになった。
unabashed「恥じない、赤面もしない、臆しない、平気な」。
nepotism「縁者びいき、縁故採用」。
Today, we know Sofia Coppola as a brilliant director,
今では私たちはソフィア・コッポラを素晴らしい監督だと理解しているが、
but it’s easy to see why her amateurish performance made her another target of Godfather III jokes, particularly for the unintentionally awkward and passionless romance between Mary and her cousin Vincent.
彼女の素人演技、特にメアリーと従兄ヴィンセントの間の何となく気まずく情熱も感じられないロマンスのおかげで、彼女もジョークネタのターゲットになった理由は容易に分かる。
Coppola actually snipped a couple of Sofia’s lines in the new version.
コッポラは実際、新バージョンでソフィアのセリフを幾つかカットした。
snip「チョキンと切る、~を(はさみで)切り取る」。
He makes a major change at the start of the re-edited film, eliminating the lovely original beginning.
再編集版は冒頭に大きな変更が加わり、オリジナル版の愛らしい始まりを排除している。
It set an elegiac tone by showing images of the abandoned family house in Lake Tahoe from Part II,
廃墟となったパート2のタホ湖にある一族の家を見せて哀愁を漂わせ、
and includes a flashback to Fredo’s death, while Nino Rota’s familiar soundtrack music evokes the past.
あのニーノ・ロータの音楽にフレドの死のフラッシュバックを加えて過去を呼び起こす。
elegiac「エレジー風の、哀調の、哀歌調の、哀愁的な、哀歌を作る」。
evoke「呼び起こす、喚起する、引き起こす」。
The new version begins with a duplicitous archbishop soliciting Michael’s help for the Vatican, a scene originally placed later in the film.
新バージョンは元々の映画では後半の場面である、二枚舌の大司教がバチカンのためにマイケルの助けを請うところから始まる。
solicit「~に懇請する、せがむ、~(贈賄して)悪事に誘う、誘う、声をかける」。
duplicitous「二枚舌の、うそつきの、だましの」。
The change highlights the finance plot without making it any clearer.
この変更は、金融的な筋立てを明確にしないまま強調されている。
このバチカンの大司教がマフィア(マイケル)を操ろうとする、狡猾な人物なんですよね~。
この辺りのストーリーは、実際にあったイタリアの銀行家不審死事件がベースになっているそうですが、まあお金と権力が集まれば、聖なる場所も俗なる場所もドロドロするんだな~と。
そして道を外れればマフィアも聖職者も報いを受ける。
やっぱりこの三部作は人間の業と因果の話なんだなあと思います。
理由は単純明快!「少ないコストでしっかり楽しく学べるから」。
私自身の経験(高機能でビックリ)をびっしり書いていますので、良かったら読んでみてください。
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