今日から「Kanaye Nagasawa: The samurai who forever changed California -「長澤鼎(かなえ):カリフォルニアを変えたサムライ」を読んでいます。
An hour’s drive north of San Francisco, rows of gnarled and twisted vines terrace up the slopes of gently rolling hills in Sonoma County, California
サンフランシスコから車で北へ1時間、緩やかに起伏する丘の斜面に、ごつごつとしたブドウの木が伸びるここカリフォルニア州ソノマ郡は
gnarled「節だらけの、節くれだった、捻じれてデコボコの」。
- which, alongside its neighbour, Napa, has been one of the world’s premier wine-growing regions for more than a century.
隣のナパと並んで、1世紀以上も前から世界有数のワイン産地である。
Many of the region’s first commercial vines were planted in the mid-1850s by European settlers who experimented with varietals from Bordeaux and other popular wine regions in France and Germany, curious to see whether they would flourish in the sun-splashed, temperate climate and rocky soil.
この地域の最初の商用ブドウの木の多くは1850年代半ば、ヨーロッパからの入植者たちが、ボルドーやフランス、ドイツの人気ワイン産地の品種を実験的に植え、太陽の光が降り注ぐ温暖な気候と岩石質の土壌で育つかどうかを観察したものだ。
But California might never have earned such viticultural acclaim if it weren’t for the little-known story of a Japanese immigrant named Kanaye Nagasawa.
だが日本人移民である長澤鼎という人物がいなければ、カリフォルニアはブドウ栽培において、ここまで高い評価を得ることはなかったかもしれない。
viticultural「ブドウ栽培の」。
Born into a samurai family and smuggled out of Shogunate Japan, only to become a founding member of a utopian cult and eventually known as the “Wine King of California”, Nagasawa led a life that was stranger than fiction.
サムライの家に生まれ、幕府時代の日本から密航し、宗教団体の創設メンバーとなり、やがて「カリフォルニアのワイン王」と呼ばれるようになった長澤の人生は、小説よりも奇なるものであった。
At the peak of his influence at the turn of the 20th Century, Nagasawa was operating one of the largest wineries in California, producing more than 200,000 gallons of wine a year from the vineyards of the 2,000-acre Fountaingrove estate in Santa Rosa.
20世紀初頭の彼の絶頂期には、サンタ・ローザにあるファウンティングローブの畑で年間20万ガロンものワインを生産し、カリフォルニア最大のワイナリーの一つを運営していた。
こんな方が居たことを、この記事を見つけるまで知りませんでした。
カリフォルニアのナパといえば、今や世界的に有名なワイン産地の一つですね。
そのナパの発展に、とある日本人が深く関わっていたという話、早速読んでいきましょう!
理由は単純明快!「少ないコストでしっかり楽しく学べるから」。
私自身の経験(高機能でビックリ)をびっしり書いていますので、良かったら読んでみてください。
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