先日から「‘Motonormativity’: The bias that leads to dangerous driving -「“モトノーマティビティ”危険運転につながる先入観」を読んでいます。
・「“モトノーマティビティ”危険運転につながる先入観」(1)
・「“モトノーマティビティ”危険運転につながる先入観」(2)
・「“モトノーマティビティ”危険運転につながる先入観」(3)
・「“モトノーマティビティ”危険運転につながる先入観」(4)
・「“モトノーマティビティ”危険運転につながる先入観」(5)
・「“モトノーマティビティ”危険運転につながる先入観」(6)
・「“モトノーマティビティ”危険運転につながる先入観」(7)
Tackling ‘motonormativity’
「モトノーマティビティ」への取り組みTo Walker, psychological insights into road safety should extend not just to individuals, but to entire societies that have dangerous biases around driving.
交通安全に関する心理学的洞察は個人のみならず、運転にまつわる危険バイアスを持つ社会全体にも拡げるべきだというのがウォーカー氏の考えだ。
Something peculiar happens when people in car-centric societies think about driving, Walker says.
車社会の人々が運転について考えるとき、奇妙なことが起こると同氏。
He points to safety campaigns encouraging children to wear bright clothing so they’re seen on the roads.
彼はその例として、子どもたちが道路で目立つように明るい服を着ることを奨励する安全キャンペーンを指摘する。
In Walker’s opinion, these could be interpreted as teaching children that it’s their own fault if they get run over, for not dressing in a way that suits drivers.
ウォーカーの意見では、これらは子供たちに、ドライバー側に適応した服装をしなければ、轢かれても自分の責任だと教えていると解釈できる。
In the context of driving, it’s easy to slip into what could be seen as victim blaming, says Walker, without realising what you’re doing.
運転という文脈においては、自分のしている事を認識しないまま、被害者を非難しがちだと彼は言う。
And yet, “very often the same people would recognise that they were victim blaming if this was in a different context”, he says.
だが「同じ人たちでも別の文脈であれば、自分が被害者非難をしていると気づくことがよくあります」と彼。
In Walker’s analysis, this is an example of the fallacy of “special pleading”,
彼の分析では、これは誤った「手前勝手な主張」の一例であり、
fallacy「誤った考え、誤信、誤った推論、虚偽、誤謬(ごびゅう)、論理上の誤り」。
special pleading「特別訴答、手前勝手な主義・主張・議論」。
an unconscious bias where certain cases are treated as exceptions to social norms.
ある特定の事例を社会規範の例外として扱う無意識の偏見である。
Driving has a special status in many societies, despite its health and environmental harms, which Walker and his colleagues call “motonormativity”.
運転は健康や環境に害を及ぼすにもかかわらず、多くの社会で特別な地位を占めており、ウォーカーらはこれを「モトノーマティビティ」と呼んでいる。
人間の習性として、自分に不利な状況に対しては屁理屈を並べてでも、それに抗おうとする心理があるように思います。
それが車の運転においても顔を出し、自分がドライバーであれば歩行者を、自分が歩行者であればドライバーを非難するような論調に陥りがちという感じでしょうか。
これは私自身もそういうところがあるなと思います。
この時に「自分に良いように解釈していないか」を自問自答すると、導き出される結論は違ってくるかもしれませんね。
理由は単純明快!「少ないコストでしっかり楽しく学べるから」。
私自身の経験(高機能でビックリ)をびっしり書いていますので、良かったら読んでみてください。
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