私が自分から英語をもっとやりたいと、洋楽の歌詞をノートに書き写し始めたのは中学生の頃でした。
party に「政党」という意味があること、parliament(CMがカッコよかったタバコの名前)に「議会」という意味があることを知ったのもこの時期で、自分では学校の授業より楽しく、色んな単語を覚えられた時期だったと思っています。
当時はとにかくこれが楽しくて、ヒマがあればこの遊び(?)をやっていたある時、親戚のおじさんがそんな私を見て、どうしてそんなことをしてるの?と聞いてきました。
これが具体的に何の役に立つかは、全く頭になかったものの、私は何となく「将来は英語を覚えて外国にたくさん行ってみたい」というようなことを答えました。
するとおじさんは「夢みたいなことばかり言って、そんなに自分の都合通りにはいかないんだよ」と。
その時は、自分でもふとした思い付きで言ったことなので、そんなに傷つきもせず、不快な気持ちもなく、ふーん、おじさんはそう思うのか、と感じただけでしたが、振り返ってみると、こんなような「悪気のない邪魔」は英語をやってきた中で結構ありました。
結局その後は、自分で働いてためたお金で短期間とはいえ留学を果たしたので、私にとっては歌詞の書き写しは無駄ではなかったと思います。
おじさんがあの時私に言ったことは、もっとまともな道、堅実な道を行きなさいという親切心からで、私の夢をつぶそうと意図したことではありませんでした。
そして私もあんまりおじさんの助言を真剣に聞いていなかった(笑)ので、結果的に自分の思う事を通しましたが、人によっては他者からの助言(大抵悪気はない)で、そうだよね、今から英語をやっても仕方ないか・・・という気持ちになることもあるかもしれません。
でも、それはその人にとっては違う、やらない方が良い事だという意見であり、今英語をやろうとしている自分とは考えていること、見ている先が違う人の言葉です。
そこをしっかり区別して、あなたはそう思うんだね、と受け流しましょう(笑)。
私のおじさんは安定した仕事を全うした真面目な人で、外国に行ってみたい私とは思い描いていること、最善と思う事がそもそも違いますから、そういう助言になるのは当然です。
もし私がおじさんのようになりたかったのから、おじさんの助言は聞くべきだったかもしれませんが、多分私は子供ながらに「おじさんと私は違う」と思っていたかもしれません。
そして多分、英語に限らず何か自分で実現したいことがある場合、それで良いんだと思っています。
その人と自分は違うから、何か不安になるようなこと、学習意欲がそがれるような事を言われたとしても、あなたはそう思うんだね、で受け流す。
今から英語なんかやったって仕方ない、いつ使うの、何が出来るの、こういう助言は笑顔でスルーです。
そして、信じた学習法をコツコツやれば良いと思います。
何をするにしても、しないにしても、全ては自分が受け取ることですし、コツコツ努力をした事は無駄にならないはずです。
独学の敵の一つは、意欲の低下と決心の揺らぎです。
これを招く要因の一つが、人からの悪意なき助言だと思いますので、そんな話になった時はニコニコ受け流して、いつも通り取り組む、それが一番大事だと思います。
理由は単純明快!「少ないコストでしっかり楽しく学べるから」。
私自身の経験(高機能でビックリ)をびっしり書いていますので、良かったら読んでみてください。
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