先日から「What we can learn about robots from Japan – 日本のロボットから分かること」を読んでいます。

日本のロボットから分かること


・「日本のロボットから分かること」(1)
・「日本のロボットから分かること」(2)
・「日本のロボットから分かること」(3)
・「日本のロボットから分かること」(4)

The 1920 Czech play RUR, which introduced the word “robot,” is redolent with religious themes:
1920年にチェコで上演された戯曲「RUR」は、世界で初めて「ロボット」というものを発表した作品であり、宗教的なテーマを暗示していた:


redolent「芳香のある、~をしのばせて、暗示して」。

one character creates androids to prove that there is no god, another argues that robots should have a soul, and two robots that fall in love are renamed “Adam” and “Eve.”
ある人物が世界に神はいないことを証明するために人造人間を創り、他の人々はそれに魂を持たせるか否かを議論する中、2体のロボットが恋に落ち「アダムとイブ」と改名される。

At the end of the story, the robots kill every human but one.
物語の最後は、ロボットたちはただ一人を除いて人間たちを皆殺しにする。

Some researchers say that the roots of Japan’s positive view of technology,
ある研究者は、日本のテクノロジーに対する前向きな姿勢の根源は、

and robots in particular, are primarily socioeconomic and historical rather than religious and philosophical.
特にロボット技術については、宗教的または哲学的というよりも、主に社会経済的かつ歴史的なものであると見ている。


socioeconomic「社会経済的な、経済社会上の」。

In the years after World War Two, Japan turned to new technologies to rebuild not only its economy but its national self-image.
第二次世界大戦後の数年間で、日本は技術立国として舵を切り、経済だけでなく国のイメージをも再構築したのだ。



このチェコの戯曲の話でも、やはり西洋的な価値観では、人間がロボット(人造人間)を作ることは神の真似事をすることであり、タブーをおかすものであるという考えがあったのが分かりますね。

映画「ブレードランナー」も、人間と見分けのつかないほど精巧なレプリカントが出てきて、彼らは人間の友達ではなく脅威と見られていました。

形や振る舞いが人間に近くなるほど、不気味さとか脅威を感じるというのはあるような気がします。

日本ではロボットに抵抗感が少ないと言っても、もしドラえもんが猫型ロボットでなく、精巧な人型ロボットであったら、あそこまでヒットはしなかったかもしれません。

自分たち人間を超越した能力を持っているけれど、外見が可愛いおかげで怖くない、鉄腕アトムとかもそんな感じですよね。

なので、人間社会でロボットとの共存が必要となった場合、見た目というのは結構重要かもしれませんね。


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