先日から「What we can learn about robots from Japan – 日本のロボットから分かること」を読んでいます。
・「日本のロボットから分かること」(1)
・「日本のロボットから分かること」(2)
・「日本のロボットから分かること」(3)
According to the traditional Western view, a machine that acts like a person is violating natural boundaries, dangerously conflating the sacred and profane.
伝統的な西洋的見方からすれば、人間のように振る舞う機械とは自然界の境界を侵すものであり、聖と俗を危険に融合している。
conflate「合成する、融合する」。
This ethical warning shows up prominently in modern myths about technology, such as Frankenstein, which derives much of its moral message from the Bible,
この倫理観に基づく警告はフランケンシュタインなどのように、聖書に由来する道徳的メッセージとして、テクノロジーにまつわる現代の神話としてよく登場する、
prominently「著しく、顕著に、目立って」。
derive「派生する、由来する、引き出す、得る」。
says Christopher Simons, a professor of comparative culture at the International Christian University in Tokyo.
と、国際基督教大学のクリストファー・サイモンズ教授は言う。
“Dr Frankenstein creates another life in the monster.
「フランケンシュタイン博士は、怪物に新たな命を与えました。
It’s like humans eating from the tree of knowledge in Eden.
これは人間がエデンの園で禁断の知恵の実を食べるようなものです。
That’s the original sin; as a result, we get punished,” he says.
原罪であり、その結果として我々は罰せられます」。
At the tragic end of the story, with Dr Frankenstein and his monster both dead, the lesson is clear, says Simons:
この物語の悲しい最後には、博士と怪物は共に死ぬのですから答えは明らかです、とサイモンズ教授。
“Be careful, human beings. Don’t take on the role of God.”
「人間たちよ注意せよ。神の役割をしてはいけない。」ということです。
キリスト教では人間とは元々罪深い者であり、色々と人間の欲望みたいなものが、汚れたものとして禁じられています。
こちらから見れば「だって人間だもの」というようなこともあり、かなり厳しさを感じますし、根本の思想が仏教や神道とかなり違うんだなと思います。
英語を話す人々にはキリスト教徒も多いと思うので、こういう根本の違いを理解しておくのは大事な気がしますね。
あちらから見れば、八百万の神々の国で生きるこちらは「はっきりしない、優柔不断、なんでもあり」と受け取られることもあるんでしょうが(笑)、衝突を好まないDNAがやっぱりあるんでしょうね。
宗教観のほかに、農耕民族か狩猟民族かの違いもあるのかな~と感じます。
理由は単純明快!「少ないコストでしっかり楽しく学べるから」。
私自身の経験(高機能でビックリ)をびっしり書いていますので、良かったら読んでみてください。
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