先日から「Why Japan is so successful at returning lost property – なぜ日本では落し物が戻ってくるのか」を読んでいます。
・「なぜ日本では落し物が戻ってくるのか」(1)
・「なぜ日本では落し物が戻ってくるのか」(2)
・「なぜ日本では落し物が戻ってくるのか」(3)
・「なぜ日本では落し物が戻ってくるのか」(4)
・「なぜ日本では落し物が戻ってくるのか」(5)
・「なぜ日本では落し物が戻ってくるのか」(6)
・「なぜ日本では落し物が戻ってくるのか」(7)
・「なぜ日本では落し物が戻ってくるのか」(8)
“After the nuclear reactors at Fukushima failed because of the 2011 earthquake, the area was sealed off for months due to high radiation,” says Tamura.
「2011年の震災による福島原発事故以来、あの地域は放射線量が高いことから、何か月も立ち入り禁止になりました」と田村氏。
“The thefts only occurred because there was absolutely no one, no police force or anyone around to witness the wrongdoing.”
「泥棒は全く人目がない時に限って起きました、警察もおらず、悪い事をしてもそれを目撃する人が居ないときに。」
Tamura describes the concept of hito no me; the ‘societal eye’.
田村氏はこの観念を「人の目(社会の目)」だと説明する。
Even without a police presence, no theft will occur while there is hito no me.
例え警察が居なくても「人の目」があると盗みは起きない。
But left in a place where there is no one watching, thefts do occur.
だが全く人の目がなくなると、盗みが起きる。
Likewise, in Shintoism everything, from rocks to trees, possesses a spirit.
同様に、神道では岩から木に至るまで、全てに魂があるとされる。
While organised Shintoism is a minority practice in Japan, omniscient objects permeate the culture.
神道が日本で少数派の慣習であった間に、全知の存在が日本文化に浸透した。
omniscient「全知の、博識の」。
This is where Behrens’s idea that Japanese people are motivated by “fear” comes from;
これがベアレンズ氏の日本人の動機は「恐れ」であるという考えの源で
if you are always being watched and your natural disposition is to think of others first,
もし自分が常に見られており、他者を優先することが普通だとされていたら、
disposition「性質、気質、性癖、傾向、配置、配備」。
it is natural that you would be bothered to hand in the lost item.
遺失物をわざわざ届け出るのも自然なことだろう。
bother to~「わざわざ~する」。
なるほど、別に日本人は正直ってわけじゃないよ、ただ人目を気にする気質があるんだよ、って感じでしょうか。
まあ個人的に当たってるかなとは思います(笑)。
でもこうして冷静に指摘されると、ちょっとモヤる・・・。
理由は単純明快!「少ないコストでしっかり楽しく学べるから」。
私自身の経験(高機能でビックリ)をびっしり書いていますので、良かったら読んでみてください。
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