先日から「Dunbar’s number: Why we can only maintain 150 relationships -「ダンバー数:人脈の限界は150人?」を読んでいます。

ダンバー数:人脈の限界は150人?


・「ダンバー数:人脈の限界は150人?」(1)
・「ダンバー数:人脈の限界は150人?」(2)
・「ダンバー数:人脈の限界は150人?」(3)
・「ダンバー数:人脈の限界は150人?」(4)
・「ダンバー数:人脈の限界は150人?」(5)
・「ダンバー数:人脈の限界は150人?」(6)
・「ダンバー数:人脈の限界は150人?」(7)
・「ダンバー数:人脈の限界は150人?」(8)
・「ダンバー数:人脈の限界は150人?」(9)

Even the possibility of anonymity online doesn’t seem to Dunbar to be substantially different to the offline world.
ダンバーには、オンライン上の匿名性さえ、オフラインの世界と大きく異なるようには見えない。

He compares anonymous internet interactions to the use of confessionals in the Catholic church.
彼は、匿名のインターネット上でのやりとりを、カトリック教会における懺悔室の使用に例えている。

It isn’t a close relationship, but it is one that recognises the benefits of confidentiality among quasi-strangers.
それは親密な関係性ではないが、準関係者間の守秘義務の利点を認めうるものだ。

“It’s extremely hard to cry on a virtual shoulder,” Dunbar deadpans.
「ヴァーチャルな存在の肩で泣くのは難しいものです」とダンバーは平然と言う。


deadpan「(特に冗談を言う時も)無表情な、ポーカーフェイスの」。

“Having a conversation isn’t like a lighthouse;
「会話とは灯台のような、

it is not just blinking away out there and maybe someone is listening, and maybe somebody is not.”
ただ遠くでチカチカして、誰かが聴いているかも、いないかも、というものではありません。」

In this view, the non-physical, non-real-time nature of internet relationships means that they can’t challenge “real-world” ones in meaningful ways.
この見方では、ネット上の人間関係は非物理的で非リアルタイムであるため「現実世界 」の人間関係に対して、有意義な挑戦は出来ないということになる。

Face-to-face relationships, with all the non-verbal information that is so critical to communication, remain paramount.
コミュニケーションに極めて重要な、非言語的情報を含む対面での関係は、依然として最重要なのだ。



対面での関係性では自分をしっかりと受け止めてくれる実感が得られることが、一番重要な点で、それはネット上のヴァーチャルな関係性が敵うものではない、という見解なんですね。

電話で話すだけでなく、お盆やお正月に時間とお金をかけて親族や友人に会いに行くのも、つまりこの実感を求めてのことなのかもしれません。

コミュニケーションの濃さがやはり全く違うので、対面することで互いの心に栄養を行き渡らせるような、そんなイメージを抱きました。

私もたまには親に顔を見せに行かないとなあ~とちょっと反省します。


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