先日から「What Japan can teach us about cleanliness – 清潔さから日本が教えてくれること」がテーマの記事を読解しています。

・「清潔さから日本が教えてくれること」(1)
・「清潔さから日本が教えてくれること」(2)
・「清潔さから日本が教えてくれること」(3)
・「清潔さから日本が教えてくれること」(4)
・「清潔さから日本が教えてくれること」(5)

In Okakura Kakuro’s The Book of Tea, his classic book about the tea ceremony and the Zen philosophy that infuses it, he writes that, in the room where the tea ceremony is held
岡倉天心の茶の湯と禅の哲学について書かれた「茶の本」によれば、茶室とは


infuse「吹き込む、しみ込ませる、煎じる、満たす」。

“…everything is absolutely clean. Not a particle of dust will be found in the darkest corner, for if any exists the host is not a tea master.”
「すべての物が全く清潔である。部屋の最も暗いすみにさえ塵一本も見られない。もしあるようならばその主人は茶人とはいわれないのである。」

Okakura wrote those words in 1906, but they still hold true today.
岡倉は1906年にこれを書いたが、これは現在も当てはまる。


hold true「当てはまる、有効である」。

Prior to a tea ceremony at the Seifukan tea house in Hiroshima’s Shukkeien Garden, you’ll see the tea master’s kimono-clad assistant on her hands and knees dabbing the tatami floor with a roll of sticky brown-paper tape, picking up every speck of dust.
広島の縮景園で茶会が行われる前には、着物姿の女性助手たちが畳に膝をつき、ガムテープでホコリを取っている。


dab「軽くたたく、(ぞんざいに)軽く塗る」。

So why aren’t all Buddhist nations as zealously clean as Japan?
ではなぜ他の仏教国の人々は、日本ほど綺麗好きではないのだろう?


zealously「熱狂的に、熱心に」。

Well, long before the arrival of Buddhism, Japan already had its own indigenous religion:
それは仏教が伝来するよりも遥か前に、日本には土着の信仰があったためだ:


indigenous「先住民の、土着の、原産の、固有で」。

Shinto (meaning ‘The Way of The Gods’), said to enshrine the very soul of the Japanese identity.
この神道(神の道)は日本人の魂に深く根付いている。


enshrine「(神聖なものとして)安置する、秘める、大事にする」。

And cleanliness lies at the heart of Shinto.
そして清浄さは神道の中心にある。


lie at the heart of~「~の中心にある」。

In the West, we are taught that cleanliness is next to godliness.
西洋では「きれい好きは敬神に次ぐ美徳」とされる。

In Shinto, cleanliness is godliness.
神道では「きれい好きこそ敬神」なのである。

So Buddhism’s emphasis on cleanliness merely reinforced what the Japanese already practiced.
そのため仏教で強調される清潔さとは、日本人にとっては改めて説かれるほどのことでもなかった。


emphasis「強調、重要視、重点」。

reinforce「助ける、補強する、増強する」。

merely reinforced what the Japanese already practiced(日本人がすでに熟達していたことを僅かに補強したにすぎなかった)=「日本人にとっては改めて説かれるほどのことでもなかった」。


Cleanliness is next to godliness「きれい好きは敬神に次ぐ美徳」は西洋の諺で、それはもちろん良いことだけども、神道のように「清浄さこそが中心」とまではいかないようです。

管理する人が居るならば、確かに日本の神社で汚れているところなんて、ほぼ無いですよね。

内も外も毎日しっかり掃除をすることこそが神を敬う行為、それが神道の考え方であり、それゆえ日本人は清潔であることを重要だと考える、というお話でした。

私の知り合いにルームメイトが西洋人で、それぞれ掃除担当を決めて共同生活をしていた人がいるんですが、この清潔感の違いで、日本人側がストレスを抱えていたことがありました。

その人曰くルームメイトとは「掃除した・キレイになっている」のレベルが決定的に違っていて、彼らは「テーブルの上の空き缶をゴミ箱に捨てること=掃除した」であり、テーブルの上を拭いたりはしない、シミが気になる日本人としては、つい横から手を出してしまう。

すると、おっアリガトウ、とは言うものの、彼らが次回からそのようにすることはない。

一事が万事、そうした「これでいいや、十分綺麗」の感覚の違いがあり、こうなると確かに細々と気がつく方(日本人)がツラくなります(笑)。

でもまあこれは人種というよりも「共同生活あるある」なのかもしれませんね。


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