つい先日、ゆたぽんという子供Youtuberの箸の持ち方がヘンだというので、ダルビッシュ投手まで参戦(自分も相当酷いと)しての「箸の持ち方が悪いからって何なんだ」論争が巻き起こっていました。

箸の持ち方にかかわらず、私は日本人です、といって外国へ出ていくと、日本人ならこうでしょ、という彼らなりのイメージを持たれることがあります。

・日本人はおとなしい(言い返さない)
・日本人は小さい、ひ弱
・日本人は綺麗好き
・日本人は金持ち


などなど。

そしてこの中に「日本人なら、日本のことに詳しいでしょう」というのもありまして。

例えば私がとても仲良くしていた東欧出身の友人たちは、彼らの首都のおよその人口や主産業、名所旧跡や歴史について、主だった事柄は外国人に説明出来るくらいの知識を持っていました。

それなのに私ときたら、東京の人口すら分からず、日本史もあやふや(特に近現代)で、何だかとっても恥ずかしいなと、その時に思いました。

学校ではそこそこ真面目に勉強したつもりだったけど、それとは違う母国に関する教養がこういう場では求められるし、それが圧倒的に足りていないと感じたんです。

今回話題になった「箸の持ち方」にしても、彼らからすれば恐らく、日本人なら出来て当然だろうという気持ちがあるわけです。

個人的にはそこをあんまり裏切りたくありません。

その意味で、出来ないからって叩くとかいうことではなく、母国の教養の一環として、必要だと感じた時には、正しい方法を学ぶ気持ちは持っていたいものです。

グローバル化とか何とかで、世界中の人がシャッフルされるようになると「自分が日本人であること」を、より強く意識するようになるはずです。

それがある意味で、自分を保つよりどころ、ルーツとして背中を支えてくれます。

ひとたび母国を離れた場所で、自分を日本人たらしめるものは何か、それは日本人としての教養ではないかと。

そしておおまかにでも日本国内の基礎情報や歴史、文化やマナーなどを勉強しておくことは、ゆたぽんだけでなく、これからを生きる若い人にはきっと有益なことだと思います。

私自身、まだまだ勉強不足で偉いことは言えませんが、正しい型を身に着けてこその「型破り」です。

「型破りなカッコいい人」にもしなろうと思う(私はなりたい!・笑)なら、正しい型を軽んじることはできません。

箸の持ち方ごときで大げさな・・・って感じですが(笑)、英語の独学なんて「あっ、違うな」と気づいたら、正しくは何だろう?と調べてそれを修正する、この繰り返しです。

この時もし「違うだろうけど、自分はこれで良いんだ」と言っていたら、それ以上は進歩しません。

出来ないこと、間違っていることに気づいたとき、それをどうするか、その選択によって未来が作られていく気がします。



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