先日から「Why cinemas will bounce back from the coronavirus-crisis – 映画はコロナ禍からまた立ち直る」を読んでいます。

赤狩りによって再び沈んだハリウッドを救ったのは、あのサメ映画。

映画はコロナ禍からまた立ち直る


・「映画はコロナ禍からまた立ち直る」(1)
・「映画はコロナ禍からまた立ち直る」(2)
・「映画はコロナ禍からまた立ち直る」(3)
・「映画はコロナ禍からまた立ち直る」(4)
・「映画はコロナ禍からまた立ち直る」(5)
・「映画はコロナ禍からまた立ち直る」(6)
・「映画はコロナ禍からまた立ち直る」(7)
・「映画はコロナ禍からまた立ち直る」(8)

In Britain and the US, cinema admission figures have never been higher than in the year 1946, but after that, audience numbers dropped off steeply year by year.
英国と米国の映画の入場者数は1946年が最高だったが、その後、観客数は年々急激に減少。


steeply「急こう配で、急に、険しく」。

Both the McCarthy witch hunt of the early 1950s outing so-called communist sympathisers making movies, and the end of the Hays Code controlling sex and violence, meant that the cinema was suddenly perceived as a less wholesome, more morally tainted space, while television was deemed a safer experience.
1950年代初頭にマッカーシーの魔女狩りがあり、いわゆる共産主義シンパが映画を作っていたことと、セックスと暴力を規制していたヘイズ・コードの終焉により、映画館が突如不健全で不道徳的な空間とみなされだした一方、テレビはより安全と思われるようになった。


communist sympathiser「共産党同調者・シンパ」。

Hays Code「かつて米映画界で導入されていた自主規制条項、ヘイズ・コード」。

perceive「知覚する、認める、気づく、看取する、理解する、悟る」。

wholesome「健康によい、健康そうな、(道徳的に)健全な、ためになる」。

deem「~だと思う」。

Meanwhile those in the industry themselves started lamenting the death of cinema as an artform.
一方、映画業界の人々自身も、映画の死を芸術の死として嘆き始める。


lament「嘆き悲しむ、哀悼する、悔やむ、悔いる」。

Legendary producer David O Selznick argued in 1951 that “Hollywood’s like Egypt, full of crumbled pyramids. It’ll never come back.”
伝説的プロデューサー、デヴィッド・セルズニックは1951年に「ハリウッドはまるでエジプト、崩れたピラミッドでいっぱいだ。もう二度と元には戻らないだろう。」と述べている。

But cinema was far from down and out.
だが、どん底からは程遠かったのだ。


down and out「落ちぶれはてて、食い詰めて、どん底で、ノックダウンされて、打ちのめされて」。

Rather, it was revitalised in the 1970s with the arrival of the summer blockbuster:
むしろ、夏の大ヒット作の登場により1970年代には活気を取り戻す:

the very thing that to some represented the ultimate desecration of cinema as an artform, but which reversed the decline in audience numbers.
それは芸術としての映画に対する究極の冒涜ではあったが、それまでの観客離れを覆した。


desecration「冒涜、不敬、不敬罪」。

From Steven Spielberg’s Jaws (1975) onwards, blanket releases with mass-marketing became increasingly prevalent.
スティーブン・スピルバーグの「ジョーズ(1975)」以降、大衆向けのマーケティング戦略を伴った作品公開がどんどん流行りだす。


blanket release「包括・一括リリース」。

prevalent「一般に・広く行なわれる、流行する、いたる所にあって」。

blanket release(包括的[作品]公開)は、文脈から考えると映画本編だけでなく、例えばサントラ盤や関連グッズなど、作品に付随するものも色々準備して、公開と同時に一気に売り出すとか、そういったことかなあと思います。

映画だけの魅力や芸術性に頼るのではなく、その他の戦略も用いてヒット作を演出すること、それは芸術としての映画の冒涜ではあるが非常に儲かる、「ジョーズ」あたりから映画界がそういう風に変わっていったと。

当時のハリウッドをエジプトのようだと嘆いたセルズニックは「風と共に去りぬ」のプロデューサーですよね。

彼の代表作を見ると主演俳優は皆白人で当時の銀幕のスタア、題材は文芸作品の映画化、当時のハリウッドの王道路線。

先日地上波でスピルバーグの「レディ・プレイヤー1」をやってましたが、例えばあんな作品をセルズニックが見たら、目がチカチカしてひっくり返ってしまうかも。

それに黒人やアジア人俳優が主要キャストに含まれるのも、彼の時代なら考えられないことだったでしょう。

古き良き時代のプロデューサーの嘆きに反して、映画はたくましく変化しながら今を生き延びていますね。


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