先日から「How John Lennon was made into a myth -「ジョン・レノンは如何にして神話となったのか」を読んでいます。
・「ジョン・レノンは如何にして神話となったのか」(1)
・「ジョン・レノンは如何にして神話となったのか」(2)
・「ジョン・レノンは如何にして神話となったのか」(3)
・「ジョン・レノンは如何にして神話となったのか」(4)
・「ジョン・レノンは如何にして神話となったのか」(5)
・「ジョン・レノンは如何にして神話となったのか」(6)
・「ジョン・レノンは如何にして神話となったのか」(7)
Kevin Barry’s 2015 novel Beatlebone treads a similar speculative path, looking at Lennon’s actual trip to the West coast of Ireland in 1978, and highly fictionalising it into a story about him taking part in primal screaming therapy to “at last be over himself”.
ケビン・バリーの2015年の小説「ビートルボーン」は、同様の推論的な手法を取って、1978年のレノンのアイルランド西海岸への旅に注目し、それをかなり創作的にして、彼が「やっと自分自身を乗り越える」ための原初療法に参加する物語にしている。
Beatlebone takes place two years before Lennon’s death, and Sheffield says the premise is emotionally convincing in that he might have had a lot to get over at that point in time.
「ビートルボーン」は彼の死の2年前が舞台で、シェフィールド氏は、その頃の彼には乗り越えるべき事が多かったかもしれないという点で、物語の設定には心に訴える説得力があると言う。
premise「(推理の基礎となる)前提、根拠、前提、(土地・付属物付きの)家屋、建物、構内、店内、既述事項」。
“A theme of his final interviews is how hard John was struggling in his adult life to purge the misogyny that he’d inherited, and to learn a way of being an adult male that wasn’t rooted in misogyny,” he says.
「ジョンの最後のインタビューのテーマは、彼が受け継いだ女性蔑視を一掃し、女性蔑視に根ざさない成人男性になる方法を学ぶために、どれほど苦労したかについてです」とシェフィールド氏。
purge「粛清する、一掃する、清め落とす、洗い清める、償いをする、下剤を用いる」。
misogyny「女嫌い、女性蔑視」。
“He wasn’t trying to excuse his past behaviour;
「彼は過去の行動について言い訳はせず、
he was trying to understand it so he could leave it behind.
それを理解しようとしていたので、克服出来たのです。
leave behind「置き忘れる、置き去りにする、~を残す」。
so he could leave it behind(だから彼はそれを置き去りに出来た)
=「克服出来た」。
And he was talking about it in public so (male) kids like me could understand we didn’t have to grow up making the same mistakes he did.
そして彼は公の場でその事を話したので、私のような(男性の)子供たちは、彼と同じ過ちを犯して成長する必要はないと理解できました。
I was just a little kid when he died, but John was one of the only adult males I saw out there talking openly about feminism.
彼が亡くなったとき、私はほんの小さな子供でしたが、私にとってジョンはフェミニズムについて公に話していた唯一の成人男性でした。
feminism「フェミニズム、男女同権主義、女性解放論、女権拡張運動」。
It’s a huge reason I looked up to him.”
それが彼を尊敬している大きな理由です。」
フェミニズムについてはオノ・ヨーコ氏の影響がかなりあるのかなあと感じました。
彼女の「ただの私」という本に、その辺りの事がいくつか綴られていて、例えば二人でいると朝刊を読むのは自分(ヨーコ)が先で、それについて当初ジョンは文句を言っていた(朝刊は男が先に読むもの)とか、ジョンはコーヒーを自分の分しか淹れなかった(後にヨーコも欲しいかい?と聞くようになった)とか、小さなところから徐々に彼の考えや行動に影響を与えていった様子が描かれています。
息子のショーンは幼い時から「アーメン、ウーマン!」と言っていて(かわいい・笑)、そのたびに母であるヨーコは「サンキュー、ショーン」と答えていたとか。
オノ・ヨーコ氏にも賛否両論ありますが、彼がもしシンシア(最初の奥さん)とずっと一緒だったら、また違った考えと言動で生きていたのだろうな~とは思います。
理由は単純明快!「少ないコストでしっかり楽しく学べるから」。
私自身の経験(高機能でビックリ)をびっしり書いていますので、良かったら読んでみてください。
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