先日から「Japan’s little-known seafaring past -「日本の知られざる海運の歴史」を読んでいます。
・「日本の知られざる海運の歴史」(1)
・「日本の知られざる海運の歴史」(2)
“The most recorded information we have is about the Murakami Kaizoku,” said Ken Tanaka, curator at the Murakami Kaizoku Museum on Oshima Island,
「最も記録に残っているのは村上海賊に関するものです」と語るのは、大島の村上海賊記念館の学芸員、田中謙氏、
an archaeologist by training and one of Japan’s foremost experts on the pirates.
考古学者であり、海賊に関する日本の第一人者である。
“They were the largest group of pirates, three branches of the Murakami family who emerged sometime in the 14th Century.”
「彼らは、14世紀頃に出現した三家からなる村上家の中で最大の海賊グループでした。」
This was Japan’s Muromachi era (1336-1573), when the former political order of central control under the shogun, Japan’s military leader, had broken down.
それは室町時代(1336~1573)、将軍を中心とした中央集権的な政治体制が崩壊した頃のことだ。
From 1467-1615, samurai warlords across the country divided Japan into independent fiefdoms.
1467年から1615年にかけて、全国の武将たちが日本を独立した領地に分割した。
fiefdom「レーエン、領国、知行、藩、領地、封土」。
“Together with the fishermen they recruited from the islands, [the Murakami Kaizoku] effectively ruled the Seto Inland Sea as their maritime fiefdom,” said Tanaka.
「村上海賊は、島々から集めた漁民とともに、瀬戸内海を実質的な沿海領地として支配しました」と田中氏。
maritime「海の、海事の、海に関する、海岸近くに住む、沿海の」。
“While many of the pirates raided ships and pillaged villages, the Murakami were different.
「多くの海賊が船を襲い、村を略奪する中、村上氏は違っていました。
pillage「略奪」。
They were sea lords and collected tolls from ships traveling across the Seto Inland Sea and also fees to ensure safe passage by providing pilotage and security by acting as escorts.
彼らは瀬戸内海を航行する船から通行料を徴収し、水先案内や護衛など安全な航行を確保するための費用を徴収する海の領主だったのです。
They did fight sea battles, but as mercenaries and to protect their territory.”
海戦もしましたが、それは傭兵として、また領土を守るためでした。」
私が村上海賊(水軍)という名を初めて聞いたのは、西川峰子さんの結婚相手が報じられた時でした(笑)。
彼女がその末裔と結婚するとなって、ワイドショーでムラカミスイグンとは?というのをやっていた記憶が・・・何だかすごい人と結婚するのねえ、という感じでした。
20年くらい前ですかね。
峰子さんは残念ながら離婚されてしまいましたが、私の頭に村上水軍という言葉が刻まれたのは彼女のおかげです(何の話?笑)。
理由は単純明快!「少ないコストでしっかり楽しく学べるから」。
私自身の経験(高機能でビックリ)をびっしり書いていますので、良かったら読んでみてください。
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