今日から「The endurance of Japan’s simple street snack -「生き続ける日本の素朴な屋台菓子」を読んでいます。
“Yaki-imo…” The forlorn cry of the roasted sweet potato vendor echoed through the canyons of concrete and tiled buildings in a Tokyo suburb.
「焼き芋・・・」東京郊外のコンクリートとタイル張りのビルの谷間に、焼き芋屋の寂しげな寂しげな声が響く。
forlorn「寄るべのない、孤独な、心細い、みじめな、荒れ果てた、さびれた、侘しい」。
The pre-recorded song, bookended with spoken claims of “oishii, oishii” (delicious, delicious), flowed from speakers on a stubby flatbed kei truck.
ぽってりした軽トラのスピーカーから「おいしい、おいしい」の掛け声とともに、録音された歌が流れてくる。
This small vehicle, a ubiquitous part of working-class Japan, had been converted into a vessel for idōhanbai (literally, mobile sales).
日本中どこにでもあるこの小さな労働者の乗り物は「移動販売」の受け皿として改造されてきた。
Complete with an oven and an awning, plus a price list and colourful advertising, the truck trundled slowly around the perimeter of a park on a chilly March evening.
オーブンや日よけを備え、価格表や色とりどりの広告をつけたトラックは、肌寒い3月の夜、公園の外周をゆっくりと走った。
trundle「(寝台・ピアノなどの)脚輪、(重いものなどを)転がして・ごろごろ押していく」。
It paused outside an apartment block, engine idling.
団地の前でエンジンをかけたまま止まる。
A mother and child stopped, and, after a brief exchange with the vendor, they sauntered off with warm sweet potatoes in hand.
親子連れが立ち止まり、売り子と短いやりとりをした後、温かいサツマイモを手に歩み去っていった。
saunter off「歩み去る」。
The truck lingered a moment longer and then slowly drove on.
トラックはしばらく留まった後、ゆっくりと走り出した。
The song, its rising and falling intonation like a lament, started up again: yaki-imo…
歌は抑揚をつけながら、嘆くようにまた「焼き芋・・・」と始まった。
rising and falling「上がったり下がったり、浮きつ沈みつ」。
intonation「読唱、詠唱、吟唱、イントネーション、(声の)抑揚、音調、語調」。
lament「嘆き悲しむ、哀悼する、嘆き悲しむ、悔やむ、悔いる」。
外国人の目に映る焼き芋屋の情景は、寂しいような懐かしいような、哀愁を感じます。
焼き芋は寒い季節の日本の風物詩、いつまでも愛され続けて欲しいもの。
早速先を読んでいきましょう!
理由は単純明快!「少ないコストでしっかり楽しく学べるから」。
私自身の経験(高機能でビックリ)をびっしり書いていますので、良かったら読んでみてください。
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