ゴシップガール シーズン1 第15話より:
at the very least
せめて、最低限このくらいは
ダンは幼馴染のヴァネッサの協力も得ながらSATの準備をしている。
ある日、二人が勉強中にネイトがやって来て、
ダンに自分のお古の参考書をくれると言う。
すでに希望大学に目星をつけた彼にはもう不要だからと言うのだが
ヴァネッサにはダンが裕福な同級生から施しを受けているように感じられ
ネイトにきつくあたってしまう。
だが彼が置いていった参考書の山の中に、ネイトが書いた作文を見つけ
ついそれを読んでしまうヴァネッサ。
ネイトの苦悩がつづられたその内容は、彼女のイメージを覆すもので
自分の態度を反省したヴァネッサは、ギリシア料理のカフェにネイトを招き
彼への非礼を謝るのだった。
Confession. I read one of your practice essays.
告白する。 あなたの練習作文を読んじゃった。(ヴァネッサ)
You left it in a book that you gave Dan,
あなたがダンにあげた本の間に挟まってから、(ヴァネッサ)
and that’s why I called you to apologize.
で、謝ろうと思って電話したわけ。(ヴァネッサ)
Why?
なぜ?(ネイト)
Because I judged the cover, but now that I’ve read the book,
あたしはあなたを見かけで判断してた、でも中身を知って、(ヴァネッサ)
I figured you were owed some apologetic souvlaki, at the very least.
せめてものお詫びにスブラキを奢らなきゃと思ってさ。(ヴァネッサ)
confession 「(罪の)告白、白状、懺悔」。
cover「(本・CDなどの)表紙、カバー」。
ヴァネッサのセリフの
I judged the cover(見かけで判断していた)、
but now that I’ve read the book(でも今はその本の中身を読んだ)、
これはネイトの外見、パッと見の印象を cover、
ネイトの内面を book という言葉で表して
彼からもらった参考書(の中に挟まれた作文)にかけている、
ちょっと気の利いた表現だなと思いました。
こういう表現がさっと出てくるように、いつかなりたいものです。
figure と understand の違い
次のヴァネッサの I figured(私は理解した、分かった)の figure は「(色々な情報から判断して)自分なりに理解する、答えを発見する」ということで
日本語では同じく「分かる」と訳される understand とは少しニュアンスが異なります。
ヴァネッサはネイトの作文を読んた事によって、自分なりに彼の事を理解し、
これはお詫びにご馳走しないと・・・と
自分で考えてそう判断したので figure となります。
understand はバラして見ると、under と stand、
under には「(自分の)支配下に置く」といった意味が
stand には「(自力で)立つ、我慢する」といった意味もある事から
どこかから得た情報や知識が「自分の支配下に自力で立つ=理解する」と
いう感覚が浮かんできます。
ですからもしヴァネッサが誰かから、もしくはネイト本人から彼の事情を聞いた、
その結果、お詫びにご馳走すべきだと理解した場合は
understand でも良いと思いますが
ここでは彼女自身が理解し判断した事なので figure が一番しっくり来ると思います。
そして at the very least は「せめて、最低限このくらいは」、
これは at least「せめて、少なくとも」に強調を表す the very が加わり
「(本当に心から)せめて、最低限このくらいは」と思う気持ちを示してします。
この後の展開を見ると、ネイトにもヴァネッサの真心はしっかりと通じたようです。