先日から「Why The Empire Strikes Back is overrated – なぜ“スターウォーズ 帝国の逆襲”は過大評価されたのか?」を読んでいます。
「新たなる希望」を「帝国の逆襲」が裏切ったと英国人のジェダイがお怒りです。
・「なぜ“スターウォーズ エピソード5/帝国の逆襲”は過大評価されたのか?」(1)
・「なぜ“スターウォーズ エピソード5/帝国の逆襲”は過大評価されたのか?」(2)
・「なぜ“スターウォーズ エピソード5/帝国の逆襲”は過大評価されたのか?」(3)
・「なぜ“スターウォーズ エピソード5/帝国の逆襲”は過大評価されたのか?」(4)
Setting a bad example
見習うべきでない見本But here’s where things get tricky.
だが、ここでちょっと話はややこしくなる。
My grievance with The Empire Strikes Back isn’t that it sticks to the winning formula established by Star Wars:
「帝国の逆襲」に対する私の不満は「新たなる希望」で確立されたヒットの方程式に固執していることではない、
grievance「(特に不当な扱いに対する)不平・不満(の種)」。
that’s what most sequels do, after all.
そんなのは結局ほとんどの続編がやっているのだから。
My grievance is that it also betrays Star Wars, trashing so much of the good work that was done three years earlier.
私の不満はそれがまた「新たなる希望」を裏切り、この3年前に作られた素晴らしい作品を大きく傷つけていることなのだ。
trashing「(ゴミ等を)捨てること、屈辱、中傷、(ゴミ箱をあさって)機密情報を探すこと」。
My un-Jedi-like anger bubbles up even before the first scene – at the beginning of the ‘opening crawl’ of introductory text, to be precise.
私のジェダイらしからぬ怒りは、最初のシーンの前、正確に言えば「オープニング・クロール」で流れる説明文の冒頭から沸き立つ。
どんだけ「新たなる希望」が好きなんだ、って感じですが(笑)、彼にとって本当に大事な作品だというのが伝わってきます。
My un-Jedi-like anger(私のジェダイらしくない怒り)ということは、彼はジェダイなんですね。
子供のころは、シーツをまとって、おじいちゃんの杖を振り回していたのかも。
このジェダイという造語は、日本語の「時代 Jidai」をもじったという説もあるとか。
ジェダイの衣装は着物のようだし、ダース・ベイダーのマスクは日本の兜、シスの歌舞伎風メイクと、日本文化の要素が随所にちりばめられていて、それだけ日本が当時の彼らにとってはエキゾチックで不思議に映ったんだろうなと感じます。
理由は単純明快!「少ないコストでしっかり楽しく学べるから」。
私自身の経験(高機能でビックリ)をびっしり書いていますので、良かったら読んでみてください。
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