先日から「Kimono: from status symbol to high fashion -「着物:地位の象徴からハイファッションまで」を読んでいます。
・「着物:地位の象徴からハイファッションまで」(1)
・「着物:地位の象徴からハイファッションまで」(2)
・「着物:地位の象徴からハイファッションまで」(3)
Although not strictly enforced and often ignored, these rules
とはいえ厳密に施行されてもおらず、しばしば無視されたこの政令は
proved the catalyst for subversive developments in kimono fashion which enabled the wearer to subtly convey their wealth and discernment.
着物の反体制的な発展のきっかけとなり、それにより着る者が自分の富と眼識をさりげなく伝えることができた。
catalyst「触媒、促進の働きをするもの、相手に刺激を与える人」。
subversive「破壊する、倒壊させる、反体制的な、破壊的な」。
discernment「理解、判断、趣味、認識、批判、識別(力)、眼識、洞察力」。
“Suddenly anyone with taste turned to small scale details, so you’d have a plain kimono with a flashy lining or something in grey or brown which, when you looked closely, was intricately patterned,” says Jackson.
「突如センスのある人たちが細部に凝るようになり、裏地が派手な無地の着物や、よく見ると複雑な模様が見える灰色や茶色の着物を求めるようになりました。」とジャクソン氏。
When the sumptuary laws were more rigidly upheld in the late 18th and early 19th Century, the women who epitomised this chic, understated style known as iki were the geisha.
18世紀後半から19世紀初頭、この奢侈禁止令がより厳格にされた時、このシックで控えめな装いを象徴していたのは粋で知られる芸者たちだった。
epitomise「代表する、象徴する」。
Forbidden from competing with the courtesans, they had honed the art of restrained elegance.
遊女と競い合うことを禁じられていた彼女らは、節度ある優雅さを磨いたのだ。
hone「砥石、(刃物等を砥石で)とぐ、(技術等を)磨く」。
A fact which will undoubtedly surprise those more familiar with the flamboyant styles they later adopted.
この事実は後の華やかな装いの彼女らに馴染みがある人たちには、きっと驚きだろう。
今の多くの人が芸者と聞いてイメージするのは恐らく「華やかな装い」の京都の舞妓・芸妓かなと思います(もちろん私も)。
でも調べてみると、江戸には当時抜群の人気を誇った「辰巳芸者(たつみげいしゃ)」と呼ばれる姐さん方が居て、ここで言っている芸者はどうもこちらの方々のようです。
彼女らは薄化粧で着物は鼠色系、冬も素足で、当時は男性が着るものだった羽織を引っ掛けて座敷に参上する・・・正にこの記事で述べられている「芸者」ですよね。
江戸には吉原もあったので、そことの共存というか棲み分けの意味もあって、芸者が遊女と競い合うことが禁じられていたのかな?と思いました。
また見えない部分に凝るというのも、いかにも粋人が好みそうなお洒落で、今にも通じるところがありますよね。
理由は単純明快!「少ないコストでしっかり楽しく学べるから」。
私自身の経験(高機能でビックリ)をびっしり書いていますので、良かったら読んでみてください。
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