先日から「Why The Empire Strikes Back is overrated – なぜ“スターウォーズ 帝国の逆襲”は過大評価されたのか?」を読んでいます。
「帝国の逆襲」の影響は、その先へも続いていった・・・らしい。
・「なぜ“スターウォーズ エピソード5/帝国の逆襲”は過大評価されたのか?」(1)
・「なぜ“スターウォーズ エピソード5/帝国の逆襲”は過大評価されたのか?」(2)
・「なぜ“スターウォーズ エピソード5/帝国の逆襲”は過大評価されたのか?」(3)
・「なぜ“スターウォーズ エピソード5/帝国の逆襲”は過大評価されたのか?」(4)
・「なぜ“スターウォーズ エピソード5/帝国の逆襲”は過大評価されたのか?」(5)
・「なぜ“スターウォーズ エピソード5/帝国の逆襲”は過大評価されたのか?」(6)
・「なぜ“スターウォーズ エピソード5/帝国の逆襲”は過大評価されたのか?」(7)
・「なぜ“スターウォーズ エピソード5/帝国の逆襲”は過大評価されたのか?」(8)
Is it possible to say whether the Empire is better or worse off at the end of the film, after all that supposed striking back?
それでは映画が終わった時に、結局逆襲せずじまいの「帝国」の方が良かったとか悪かったなどと言えるだろうか?
after all that supposed striking back(結局逆襲するはずだった[つまりしていない])=「結局逆襲せずじまい」。
Not really.
ちょっと言えない。
None of that matters, apparently, compared to the booming declaration: “I am your father!”
この作品は「私がお前の父親だ!」というあの衝撃の告白以外、他の事はどうでもよいのが明らかだ。
none of that matters「どうでも良い、大した問題ではない」。
If The Empire Strikes Back had been a one-off, I could have forgiven it by now.
「帝国の逆襲」が単発作品だったなら、私ももう許せていただろう。
one-off「一度限り」。
But what about all the many films that have used it as a model
だが「帝国の逆襲」をモデルとしたその他多くの作品、
- all the films that have tarnished Star Wars by contradicting its mythos and obsessing over its family trees?
(スター・ウォーズの)神話と矛盾し、家系図に執着することによって「新たなる希望」を汚した作品群は一体何だ?
tarnish「曇らせる、さびさせる、変色させる、汚す」。
contradict「否認・否定する、~が正しくないと言明する、反対する、逆らう、矛盾する」。
All the tiresome dramatic revelations which have tried and failed to be as mind-blowing as the one about Luke’s lineage?
ルークの血統の話と同じくらい驚かそうとして失敗した、うんざりするような劇的な暴露の数々は?
revelation「(隠されていたものを)明らかにすること、暴露、すっぱ抜き、漏らすこと、発覚、天啓、啓示」。
lineage「血統、系統、家柄」。
少し文章の区切り方がわかりにくくて、すみません。
ここから先は、映画を未見の方にはネタバレになる描写が出てきますので、それを避けたい方はここまで、にしてくださいね。
映画の出来が良い悪いよりも、とにかくルークの父親がベイダー卿であることを明かす、それだけが「帝国の逆襲」の主目的だったのでは?という意見。
観客がアッと驚く(と期待した)新事実を盛り込む、そのおかげで元からある設定がグダグダになる・・・そういう作品は、確かに他にもたくさんありそうだなと思います。
そういう作り手側の悪しき手法が「帝国の逆襲」から始まっちゃったじゃないか!ということでしょうかね。
理由は単純明快!「少ないコストでしっかり楽しく学べるから」。
私自身の経験(高機能でビックリ)をびっしり書いていますので、良かったら読んでみてください。
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